アーカイブ : 2013年 11月

「心と向きあう」ことを楽しむ時間

paris013

なんかわからないけど憂鬱になる、今日は朝から調子がいいぜ!、なんていうことは誰にでもあること。気分の微妙な変化というのは、いちいちその理由について詮索したりしないけど、いい加減イライラが続いて治らない!というようなことがあったりすると、「あれまてよ? なんでこんな状態が続いているんだ?」なんて、ふと我にかえって色々考えてみたりするもんです。で、よく考えてみると友だちに言われた一言が原因となっていて、それがまた誤解だったりして…。確認してスッキリ〜〜ああ、なんでもっと早く気づかなかったんだろう、と胸をなでおろしたりして。

自分の中にある無意識というのはなかなやっかいなもので、無意識に感じていることがストレスとなって、やがてはそれが原因で病気になってしまったりすることもあるそうです。なら時々自分を見つめ直すために「心と向きあう」ということをしてみたら? さらにどうせやるならそれを楽しんじゃおう♪というのが、今回のテーマです。

と言ってもそんなに難しいことじゃない。日常の中でできること、もしかしたらもうやっているかもしれないかも、とそんなレベルのお話です。

まずセッティングします。これが重要です。気持ちのいい空間を用意するのです。早朝の澄んだ空気の公園とか、ひと仕事やり終えたあと、音楽をかけながらコーヒーを楽しむ時間とか。できるだけその時の気分にフィットした状況をセッティングしてみます。そして静かに、リラックスして心と向き合います。良かったこと、悪かったこと、なんでもないこと、時系列に順を追って考えてみてもいいし、心に引っかかるものがあれば、その糸を手繰っていってもいい。私は親しい友人にメールを書きながら、それをきっかけにいろんな想いにふけっていくこともあります。

多分ここまできて、自分が意識せず抱いていた感情の理由が少しでもわかったら、気持ちが落ち着いてきたりすることもあるんじゃないかと思います。あとはそれをどうするのか考えるところまでできればベストです。

ただ、私が大切にしているのは、あくまでもその時間を楽しむようにする、ということ。心を落ち着けて想いを巡らせるというのは、なかなか楽しいものです。映画や本を読んだり、何かのクリエイティブに刺激を受けた時なんか、特に想いの領域が拡がっていきます。そこからまたなにか新しいものが生まれたりするかもしれないし、それを誰かと共有することで、関係が進展したりすることもあります。

こんな風にブログを書いている事自体も、同じようなことをしてるのかもしれません。

休日の午後の日差しは暖かく、阿部芙蓉美の旋律は心を優しくしてくれます。

デジタルがリアルを飲み込んでいく…

digital

久しぶりにドキドキした。

プロジェクションマッピング、Perfume、そして真鍋大度。ご存じない方は今すぐにでもこのキーワードで検索してください。カンヌ国際クリエイティビティ・フェスティバルで賞をとったなんていうことよりも、彼のそのクリエイティブにドキドキしたんだ。例えば東京都現代美術館でのパフォーマンス。株式市況をリアルタイムに映像化していくというものだけど、テーマはユニーク、技術は高度、そして何よりもクリエイティブが美しい! これがシビれるシビれる!!

ドキドキしながら妄想が拡がっていった。

デジタルがリアルを飲み込んでいく…。

それは単純にデジタル技術がリアルな生活を侵食していくという論理ではない。というか、その逆転の現象が起きていて、それが自然回帰とかそういう事じゃなく、でもやっぱり「人肌恋しいよね」というような、まさに現実レベルでリアルなところに降りてきたもんじゃないかな、と思ったりしている。

ちょっとわかりにくい話になってしまったけど、なんか最近Perfumeの歌声が肉声に近づいてきたかなとか、ニコニコ動画とかでネットに生息していた住民が超会議やオフ会なんかで外に出てきたり、初音ミクの曲を生歌で歌う人が出てきたり…。

そんな現象を見ていて、現実世界がデジタル化していっているような感じがした、ということ。それはそれで新しい枠組みができてきているように思うんだけど、2次元の住人もリアルを求めていることにちょっとホッとしたりして。

ただなんだかんだ言って、やっぱり根源は「ブレード・ランナー」なんだよなあ。人間より人間化したレプリカント。ああ、これも知らなかったらググッてみてくださいね♡

「空気」としての写真

bara

写真を撮るとき、その被写体を説明するため、つまりきれいな風景であったり、歴史のある建造物であったり、かわいい子供の笑顔であったり、意図が明確なものを表現することが一般的だと思う。

写真を撮ることはコミュニケーションだ。

だから、自分が出会ったその場面を友人や家族と共有するために、その「明確な意図」の写真を撮影していくのはごく自然な行為だと思う。

ただ私が写真を撮るとき少しだけ違うことがある。それは、その場所の特性よりも「空気」みたいなものを伝えたくて、それをイメージできる構図を無意識に探していることが多いこと。だから、その場所がどこであっても、基本的にはあまり関係ない。

green

私が感じたその感覚を写真を通して共有できたり、見た人がそこから違う感情へと展開してもらえることが、私にとってのコミュニケーションだ。だから「綺麗な」とか「爽やかな」とかといった修飾語よりも、「心に突き刺さる」とか「強く惹かれる」なんていう言葉のほうが感想としてしっくりきたりする。

hikari

今日載せた写真は、先日の休みに王子方面へ散歩に出かけたときに撮影したもの。はじめは撮るつもりなんて全然なかったんだけど、歩いているうちに気持ちよくなってきて、その楽しい感情の行方を探しているうちにカメラを手にしていたんだと思う。特に大きなテーマがあるわけではないけど、なんとなくその時の「空気」を感じてもらえたら嬉しく思います。